まや幼稚園の願い(まや幼稚園の基本となる考え)

願いは一つ

教育方針

「誕生」、わが子を授かった喜びと同時に、健康で幸福な人生を歩んで欲しいと願わない親はいません。幸福の中身を問うと両親の価値観により多少の違いがあることとは思いますが…。また、長い人生の中では困難な場面、忍耐の時期があることも想定されます。

では、改めて「幸福」な人生とはどんなことなのでしょうか?自身も家族も健康で円満、満ち足りた衣食住、才能を生かした社会生活、適度な余暇と容姿、心に余裕と冷めぬ情熱…。幸福であることの条件は多種多様に膨らんでいきます。

しかし、つきつめると、『自分の人生に意味を感じ、生命の充足感を味わいながら日々を送る』このような生涯を終えることが出来たなら、正に幸福な人生(生命)を全うしたと言えるのではないでしょうか。

 

「生きる力」とは

生きる力

近年、文部科学省の指導要領も含め、教育界では「生きる力」をテーマとして掲げながらも現状はどうなのでしょうか?

3年に1度実施される、国際学習到達度調査の結果(高1を対象)により、日本の子どもたちの学力低下が問題とされ、ゆとり教育が見直されたことは周知のことと存じます。しかし、学力の低下といっても参加各国の中で、上位1ケタに位置しています。一方、同調査のアンケートで、子どもたちが勉強を楽しいと感じる程度や勉強への自信の程度を見てみると、国際的に見て最下位に近いという事実があります。日本の子どもたちは、学力は高くても勉強は楽しくない、自信が持てないという状況なのです。

これは要するに、「自己価値観」が低いということです。自己価値観は幸福に直結するものです。意欲や主体性の基礎であり、自分自身が生きていくための基盤となるものです。

少なくとも、幼児期は園生活を楽しむ中で、「生きる力」につながる豊かな心と幅広い能力を培い自己肯定感を養うことが大切となります。

 

「学校教育」の現況

「学校教育」の現況

親は幸福への道筋として、学校教育に人間的成長とともに、知識・技術の獲得を期待します。しかし、期待の実際は学歴社会を背景に学科習得に重きが置かれているように思われます。また、学校教育の学びによって培われる能力では論理・数学的知能、言語的知能が偏って重視されているという指摘があります。現在では、知能をもっと幅広くとらえる考え方が広まりつつあります。音楽的知能や人間関係的知能、身体・運動的知能、空間的知能、内省的知能、博物的知能など多様な知能に考慮することが提起されています。

さて、改めて日本の学校教育の有様を概観するとき、義務教育で学習しなければならない情報量は多くなっていっています。「考える力を伸ばしたい」という教師の思いは、教材の精選、教育技法の研究という努力をしてなされていますが、「多くの情報を能率よく正確に覚えさせる」ことが宿命であるならば、「受け身の教育」とならざるを得ません。「情報を比較検討し、統合し、判断を下す」といった「課題解決型」学習方に変わるならば情報量の減少は否めませんが、子どもたちは知的好奇心に刺激され、課題に対して自発的に取り組む姿勢が醸成されると考えます。無論、自ら情報を集めることへと指向され、勉強も楽しいものへと変わっていくはずです。このことも自己肯定感という幸福感に繋がります。

 

幼児期のはたらきかけとは

幼児期のはたらきかけ

脳科学の発達により、幼児期に大切にされなければならない働きかけが明らかになって参りました。脳科学者である養老孟司さんによりますと、『五感から刺激を“入力”し、その結果を“運動”として“出力”しているのが、脳の働き』と脳のシステムを説明されています。

『自分の筋肉を動かして動く。そうすると何かの音が聞こえたり、風景が変わったりする。そうするとそれにまた反応して進む。これで入出力が回り出すと言葉もまわり出します。だから、自分のからだで動くっていうことは、とくに小さいときは、脳の発達のためには本当に大切なことなんです。』

『小学生くらいになると、かならずしもからだを動かして入出力しなくても、脳の中でループ(入力・出力)を回せるようになります。』

『だから僕はしつこくいつも、幼児期にはいろんなことをさせろというんです。そうすれば、脳の中にいろいろなルールが増えてくる。学習が蓄積されてくる。』

長い引用となりましたが、幼児期は直接的・具体的体験により、五感に対する十分な働きかけの重要性を示唆されています。また、一つの具体例として、日々変化する戸外での遊びの時間の多さが言葉の意味を知り、言葉の数が増えることに関係していることもわかってきました。

 

遊びをとおして

遊びをとおして遊びをとおして

幼稚園教育を一語で表現すると「遊びをとおして」といわれます。前述の指摘どおり、学校教育の一環であっても幼稚園では小学校のような授業型式で行う教育はなじまないことは、理解していただけたことと思います。

豊かな遊びが成立するには「場」「仲間」「時間」の三つが大切です。お子さんの母子分離が進み、自我が目覚めてくると、お母さんは公園デビューを考え始めます。三つの条件が整うであろう公園で、他と関わって遊ぶ中で、自然な形で多岐にわたる能力の成長を願ってされていることと思います。

さて、良く遊ぶ子どもとは、自ら選択、判断して決定という行為を絶えず繰り返しています。この積み重ねは、自己決定能力、積極性、行動力といった人格を身に付ける基礎となります。また、親からの依存を脱して自立へと向かわせます。さらに、「豊かな遊び」を実現するには「集団遊び」に集約されると考えます。

「集団遊び」は子どもたちの興味・関心を中心に自発的に行われる遊びによって、運動能力、社会的能力(コミュニケーション・リーダーシップ・フォロアー・ルールなど)、創造力、想像力、自主性、自己の発見等、あらゆる個人的性格の成長を促すうえには欠かすことのできない重要な意味を含んでいます。

幼稚園生活は、子どもたちが自主的・主体的に取り組めるように教職員が影の援助をしつつ、「集団遊び」「豊かな遊び」を助長する教育と言えます。

 

今一度、願いは一つ

願いは一つ

日本の子どもたちの現状は、未だ偏差値という偏った能力で選別され進路が限定されるのも事実です。また、最近学力や記憶力などのIQ(知能指数)に対してEQ(心の知能指数)が注目されています。IQでは測れない社会的能力、忍耐力、セルフコントロールなどの能力であるEQの方が社会的に成功に結び付きやすいという調査結果も出ているようです。

セルフ・エスティームとは、自分という存在が、他にかけがえのない存在だと感じられ、他の人や社会にも何らかの貢献が出来る存在だと確信できる状態をいいます。このことは、自分の人生に意味を感じ、自信を持って人生を歩むことが出来ることに連なります。セルフ・エスティームを確立して生きていく態度を身に付けるには、幼少期に基本的な部分が形成され、大人になってからでは困難とされています。

何が、一生涯を通して必要な能力、生きる力なのか、子ども達の幸福を考えるとき、今一度問われなければならないと考えます。

子どもの幸福を願う子育ての責務を負わざるを得ない親は、一方の現実と共にもう一つの教育の大切な意味を深く受け止めることにより、子どもたちの人生が大きく開かれてくることと考えます。

 

  • 引用 養老孟司『バカなおとなにならない脳』理論社
  • 以上の理由から、当園の「教育理念」「教育目標」「教育方針」が設定されています。

教育理念

生命尊重の保育

教育方針

生命尊重の保育とは、自然への感謝、動植物の愛護、健康・安全への配慮、社会性の形成といった一面だけに限定されるものではなく、幼児の園生活全てに貫かれる保育です。

子どもたちが、毎日、生き生きと園生活を送るなかで、生命の充足感、生命の輝きを体現することが当園の方針であり、私達教職員の願いです。

仏教の生命観

人間も動物もすべての存在が平等で大切な生命と考えます。

共生の哲学

ヨーロッパ合理主義二元論の壁が、現代の社会・世界状況ともいわれています。
「自然と人間」「心と体」という二頂対立ではない、大乗仏教の共生の思想が、人類・人間の問題解決の考え方として現在注目を浴びています。

教育目標

  • 丈夫なからだ
  • きれいな心
  • 個性を伸ばす
  • 社会性を育てる

社会へのはじめの一歩…協同力

子ども達は3・4才期になると自我のめざめがはじまり、遊びのなかでも相手を求める時期になってまいります。社会性のめざめともいえるこの時期に、幼稚園生活を経験することは、親の手元を離れ自立する心を養い、集団生活の中から協調性、ルールなど人格形成の基礎となる多くのことを学習する場となります。

教育方針

子どもの生活圏としての園生活

幼稚園生活をとおして、自立心、協調性、ルールなど人格形成の基礎を培います。

生きる力の源泉となる「こころ」と「からだ」をはぐくむには、「知る」ことよりも「感じる」ことが優先されます。

自由で自発的な「遊び」をとおして、友だちづくり、仲間づくりを援助し、人と関わる力を育てます。

そのために、直接的・具体的な体験をとおして、五感に十分な働きかけを行います。

行事、活動を設定するにあたり、子ども達の自発性、創造性、想像性を喚起することに勤め意欲を持って取り組めるよう最大限の配慮をします。

自然とのふれあいの中から、美しさ、やさしさ、いのちの尊さ、豊かな感性を養い、イメージ力、創造性の発展により表現の楽しさを知らせます。

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